大学卒業間近で将来の仕事に悩み迷い、就職先を変更した人の話

【工学部の学生が卒業間近にファンションデザイナーに進路変更】

・バイト仲間の話に影響を受け就職先を考える

工学部の大学の4年生の友人がいました。
4年生の夏休みにイベントのアルバイトをしたのです。

同じような年頃の若者達がアルバイトをしていました。
20代前半の人達でした。

大学生、専門学校生、浪人、

やりたい仕事の準備資金を貯める為に働いている者、
バンドを組んで音楽の仕事をしたいと思っている者、
旅に出る為に資金を貯めている者、
やりたいことが見つからないと困っている者、
色々な若者がいたそうです。

その人達になりに将来の自分の職業や、
やりたいことがあって、
熱っぽく語り合いながらバイトをしていたようです。

そういう若者達がとてもよく見えた ようです。
それに比べ、自分は いったいなんだったんだろう
と考え込んでしまいました。
同い年位の者は、みんなそれぞれ夢を持っているようで、
うらやましく思えたらしいのです。

「このままではいけない。
自分も自分の意志で、やりたいことをしなければ・・・・」
と感化されたらしいのです。

そいつの学部の生徒は、大学を卒業すると
ほとんどが工場に勤めます。
そいつは、急に工場に勤めることが嫌になって
自分のやりたいことをやろうと決めてしまいました。

そのまま行けば無事に卒業して、
地元ならいい工場に勤められます。
ずっと親の言うことを聞いて、
何も考えずに、
大学4年まできて、急に進路変更です。

工場勤めで一生終わってもいいものなのか
先が見えた
工場に勤務して機械部品を作る為に生きてきたのか

と、若い時にはよくありがちな将来の悩みが出てきて
仕事の価値や自分の価値を考えだし
大学4年生の後半に 急に考え混んでしまったのです。

そして突如

「洋服のデザイナーになりたい」と言い出しました。
就職活動も停止し、
卒業間近かになってから
ファッションデザイナーの会社等にアプローチをかけ始めました。

工業系の大学の卒業を前に大きな進路変更です。

しかし、急にはデザイナーの事務所の勤め先は見つからず、
就職浪人してしまいました。

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・普通のまじめな奴の無謀な決断

洋服のファッションデザイナーになると言っても、
その友人には、洋服の知識もデザインの知識はありません
絵もデッサンも色のことも、全く知らないのです。

「なんで急に?」と親も周りの友人達も困惑しました。
せっかくストレートで卒業出来たのに・・・もったいないと。

そう思うのは周りで、本人は
「夢が芽生えた、それに向かって突き進もう」と言う、
決意で希望に満ちていました。
そいつは普通の奴で、
何か変に背伸びしようとしているようですが、
ちょっとビックリしました。

そんな危険をおかす奴だとは思っていませんでした。

大学の新卒時の時は、学校が斡旋してくれるので
割といいところに勤められるのに、

ファッションデザイナーとはちょっと無謀だと、

どうかしたのかと、誰も取り合いませんでした。

おかしくなったのかと思われていました。

・卒業と就職、社会の現実を知り妥協する

そいつは、大学を卒業しても、デザイン学校に行くわけでもなく、
洋裁の習いごとでも、絵の習いごとに行くわけでもなく、

縫製のことを学ぶわけでもなく、

自分で服を作るつもりもありません。

ただ洋服の本を見たり、
自分で服の絵を描いたりして、

夜は、夏のバイト仲間のところに行って
楽しく語りあかしていたようです。
バンドの仕事につきたい、
会社を立ち上げたい、
旅に出て何かをつかみたいという
バイト仲間の熱のこもった話に夢中になっていたようです。

当時、自分の仕事を真剣に考えていた者は、
手堅く公務員や
できるだけ大きな安定した会社の就職を目指していました。
夢物語のようなこととか
外国に行って成功するとか言っていた者でも
22歳位になると現実的な行動に切り替わっています
親が会社をやっている者は、親の会社を継ぐし、
親の言う通りにして、それなりの会社に就職しました。
親がとやかく言わない者でも、
堅実な方向に向けて、
自分に見あった企業自然に勤めを決めたようでした。

その友人は、デザイン事務所を何社も当たりましたが、
電話での問い合わせでも断られ、
経歴を書いた履歴書などを出しても
面接さえ受けられなかったようです。
デザイナーの募集自体あまりないようです。
洋服の制作会社に入っても
裁縫などができないと
雇用されないのでないかと思っていましたが、

やはり、履歴書を送ったり、
就職希望を伝える電話をかけたりしても
採用されませんでした。
繊維工場に勤めてもよかったのかもしれませんが、
なぜかそれは拒んでいました。

毎日、洋服の絵を描いて遊んでいるようにしか見えない。
と親しい友人は言っていました。

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・若者の就職の決め方

自分のやりたい仕事を見つけて、
その通りの仕事につけている者は多くはないと思います。
ほとんどの人が、親の進める仕事
友人の様子社会や周りの意見などを参考に
自分の仕事を決めていたようです。


自分のやりたいような仕事には、
多くの人がつけないのが現実で、
そんな中でも
自分の仕事に面白味を見つけていかなければならない
と、 後で思いました。

やっぱりその後見ていると、
親の言う通りにした者、堅実な道を選んだ者は、
中年以降、社会的にそれなりに
いい生活ができているようです

大人たちの言う通りの仕事についた人達は

中高年になった時に見ても、
だいたい人並み以上の生活はできています。

若い時に自由にやっていた者は、
親が無関心な家の子くらいだと思います。
そういう者は、成功した人もいれば、
残念なことになっている人もいます。

・熱意だけでは仕事に就けない

その友人は、どこかのデザイン系の会社の面接で、
「デザインや洋服の学校に行って知識を学んでから来い。
デザイナーはそう簡単にはなれない」
と強く言われたらしいのです。

デザイナーになりたい人はたくさんいます。

急にファッションデザイナーに成りたいと言い出し、

何の知識もないのに、熱意だけでやるといっても、
大人たちは相手にしてくれません。

しかも急に言い出したのです

・洋服店の店員として就職

その友人は、仕方なしに、
ブティックなどの
高級ファッションの店員から始めようと思いました。
その友人は、見た目がパッとしないので、
かっこいいお店の店員の仕事も
かなり断られてしまったようです。
それでもなんとか仕事を探し続けていましたから、
意外に根性があったようです。

自分を知らなかったとも思えますが・・・。


そして、やっと小さいですが

やや人気のある洋服の販売会社に店員として
就職ができました。

しかし家からかなり離れた都心です。

親元から勤務できる距離にある会社では
ありませんでした。
安い給与で、
アパート暮らしがやっていけるのかと
親は心配したそうです。

でも、本人はやっと
やりたい仕事の端っこに手が届いた と思って
必死に頑ったようです。

・お金がないと生活できない

そして、夢の始まりはあまくはありませんでした。

好きな洋服が売っているお店です。
毎日自分が欲しい気取った洋服を見ているのです。
仕事のことよりも
洋服が欲しいという騒動との闘いだったのです。
その店の服は、従業員割引で買えます。
毎月のように安い給与で、洋服を買ってしまいました。
給料日には洋服代が差し引かれて入金されます。
家賃を支払うとほとんど残らず、
すぐにやっていけなくなりました。
洋服が単に好きなだけ、だったのでしょうか?

就職に悩む

そして、結局1年もしないで、
田舎に帰り、親の工場を継いでいます。


工場と言っても
親が夫婦でやっているところですから、
裕福と言えるような所ではないと
彼の親しい友人達は言っていました。

まじめな奴でした。
就職浪人してまで真剣に将来のことを考えたのだと思います。
彼にしては大冒険だったと思います。
親にもあまり逆らったことがないようなやつでした。

悔いはないそうです。

今はもう立派なお父さんになって、
この不況の中、親の工場を継いで妻子を養っています。

【それぞれの人生の結果が見えてきた年頃】

仕事も夢も、若い時なら挑戦できます。
・親の言う通りにして安泰な生活をしている人、
・何もやらないで後悔してしまう人、
・やって後悔する人、
・やって失敗したけど、成功に結びつけた人
色々な友人達がいました。

一緒に相談したり体験したりしてきました。

私ももう、50代です。人生の後半にどっぷりつかって、
みんなの結果が見えてきました。
そういう様々な人達の経歴や結果を見てきたので、
私にも、仕事について色々と
他の人にアドバイスや
経験談が話せるようになったのかもしれません。

自分も含め、身近な人達の、
人生の結果」 が
見えてきた年齢になってしまったようです。


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