【金持ちの大きな飲食店の後継ぎがまじめに仕事をするまで】
・大きな料理屋の息子の進路
地元では有名な大きな日本料理店があります。
値段が高くてお金がある人でないと行けません。
公務員などの高給取りや成功した経営者、仕事で接対したり何かのお祝い事、記念ごとでないと普通の人はなかなか行けないような高い料理店です。
そこの息子は私の友人で、高校卒業後大学の工学部に進学しました。
家の後を継ぐかどうかはまだ決めていなかったようで、
継いでもいいし、何か他にやりたい仕事でもあるかといえば、そうでもないようでした。
ただ、まだ働きたくなく都心のマンションで一人住まいをして
大学生生活をしたかったのです。
よくわかります。わたしも仕事は何をしたらいいかわからず、全く決められずにいました。
入学後1,2年経つと
一通り大学生活をして色々なことがわかってきます。
学生の遊び、学校生活、学校の科目と自分の進路の一致不一致などがわかってきます。
まじめに出席していないと進級の単位が足りなく進級できなくなります。
その時進路の違いを感じた学生は他の道を考えるようになります。
二十歳くらいになると将来のことを真剣に考え始めたようです。
友人はやはり飲食の道に進みたいようです。
大学中退しました。
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・中退してバーテンのアルバイトをする
大学を辞めても実家に帰らずそのまま都心のマンションに住みながら、
ショーパブかスナックでバーテンのバイトをするようになりました。
もともとハンサムで女の子にも、中学校時代からモテていました。
私のような貧しい家の子供達とは、遊んでいた友人達も違いました。
上流階級のおぼっちゃまやお嬢様たちとよく一緒にいたようでした。
そういう金持ちの子供達は小さい頃から、
大人が好むような社交的なことはできていたようでした。
おしゃれな格好をして、パブでバーテンの見習をし、お客さんの話相手や接客をします。
お客さんと楽しい会話をするのですが、
そういう社交面も元がお金持ちの家で育っているので上手です。
会話に自信を持って委縮することなく人と会話ができるようでした。
私のような貧しい田舎育ちは、社交の場では知らない人と話すことなどできません。
小さい頃の育ち というものは、何かの時に出るものだと知らされました。
すごいな、いいところの育ちって。
学力に関係なく社交的な会話や相手ができるのです。楽しそうでした。
マンション暮らしで高級スポーツカーにも乗っていて、外食の毎日で楽しそうでした。
小遣いも銀行口座に入っていますが、
安いバーテンのバイト代では自分の生活費を満たすことができません。
そのうち、親が遊びもいい加減にしろ と怒りだしました。
・家に連れ戻され進路を決意させられる
親が周りの目も気にしだしてきたようで、
いつまでも好き勝手にさせてもらえなくなりました。
進路を決めるように言われたのです。
「いつまでも仕事を決めないで、遊んでばかりいるな。いい加減仕事を決めろ!」と。
都心のマンションを引き払い、実家に帰ってきて、
将来の進路をどうするか決めるように言われました。
しばらく考える時間を与えられ
家を継ぐとか、仕事は何をするか、考えていたようです。
実家で家の料理店を手伝ったり、他のバイトをしたりして考えていました。
そして決意して、長男ですから家業の料理店を継ぐと決心した のです。
その友人の友人達は親が会社を経営しているものが多く、ほとんどの者が親の会社を継いでいます。
親の会社を継ぐために大学や専門学校は、実家の仕事に関係する学科に進学していました。
その友人も料理の修業のため、どこかに勤めることになりました。
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【強制的に修行為に料理店に入れられる】
・強制修業、寮に押し込められて
親がその友人の勤め先を決めてきてしまいました。
親が都心の大きな料理店に、住み込み での勤めを決めてきてしまったのです。
これがとても辛くて仕方がなかったようです。
「大勢の料理人がいる厨房で、一番下の見習いの仕事をさせられている」と、
これが辛すぎるというのです。
その友人が言うには料理場の見習いは、
皿洗いや玉ねぎの皮むきなどを一日中やらされ、
食事も調理場で立ち食いですまし、
休む暇もなく、
食材を洗ったり、用意したりして、こまずかいの仕事ばかりだ。
こんなことやっていられない。
労働時間も朝の10時から夜中までだ。
寮生活は、一つの部屋に6人もいてプライバシーもない。
帰ってきて1時間も自分の時間がない。
二段ベッドのわずかなスペースが自分の自由になるとこだよ。
音楽も好きに聞けない。地獄だ!
一日中ずっと、玉ねぎやニンジン、大根の皮むき、皿洗い、食器の用意、掃除などを
させされているとぼやきまくりでした。
・我慢の限界、修行先から逃げ出した友人
ある日その友人の父親から電話が来ました。
「うちの子知らない?店長に叱られて、店からいなくなってしまった。知っていたら連絡くれる。」
友人はその夜にうちに来ました。相当辛かったようです。
あまりにも忙しく、プライバシーも休みもない。
懸命にやっているのに文句を言われた。
もうやる気がなくなったと言いうのです。
寮生活で、雑用の仕事が、おぼっちゃま育ちの友人には耐えられなかったようです。
裕福な育ちでプライドの高い友人には耐えられなかったようです。
聞いていて辛そうでした。
長時間労働と寮生活もきついらしく、1か月で退職しました。
実家に帰ることになったのです。
でも、その時 調理師の資格勉強も始めていました。
メモ帳を持っていて一升が1.8リットル、1リットルは1000㏄とか単位の勉強や
何かの料理に必要な食材や必要量のメモ書きがしてあり、
料理の仕方の記録を見せてくれました。
「一升で何㏄か知っているか?こんな単位も知らなかったよ」
といって笑っていました。
お金持ち育ちの子が、急にキツイ飲食店の見習い修業の生活は耐えられなかったようです。
しかも、友達もいない知らない土地での、6人部屋の寮生活は普通の人でもキツイと思います。
家の仕事を継ぐためとは言えあまりにも、生活環境が変わってしまうと
仕事を覚えるよりも、
生活環境の変化についていけず、参ってしまったようです。
温室育ちで育てられてきて、急に厳しいやり方にした親のやり方に友人はついていけなかったようです。
【環境が変わると修行し出す】
実家に帰った友人は、隣街の同じような日本料理店に勤めることになりました。
知り合いのつてで就職したらしいのです。
料理人は勤めることを修業と言う人が多いような気がしました。
会社員のように そのお店にずっと勤めることが前提でなく、
いつか自分のお店を持つための学習期間であるような言い方をする人が多いのです。
ですから給与が安いのは仕方がない、
いかに教えてもらえるか、
いかにその調理を盗むか、
どのくらい料理の方法を見せてもらえるかが重要なようです。
以前に押し込まれた修行先の店と違い、地元で、周りに友達もいて、
休みには遊べるし、
家に帰れば自分の部屋もあり自由です。
これが友人には良かったようです。
無理に都会の料理店で住み込みで修業することよりも、
自分に合った環境での働き方がよかったようです。
また「あの大きな日本料理屋の息子」ということで、
勤め先の旦那さんや女将さんもよくしてくれるようでした。
修行先の仲間とも仲良くやっていけそうで、
初めから料理に関する仕事をさせてもらい、
玉ねぎばかり向いたり、皿洗いばかりでなく、調理の仕事もさせてくれるのだそうです。
以前の修行先は、料理の仕事がやりたかったのに、
させてもらえなかったことで焦りがあったのかもしれません。
20代での料理の初心者で見習いでしたから、焦りもあったのかもしれません。
その修行先のお店では、料理見習いは10代の若い人が多かったからです。
その地元料理店に行ってから、楽しく仕事をしてどんどん覚えていきました。
調理師の資格を取ったと、資格証を見せてくれました。
その後、日本料理の修業をもっとしたく関西に修行に行きました。
大学中退後遊んでばかりで、親のコネで入れた大きなお店も途中で投げ出した友人でしたが
「あの料理を覚えたい」と意欲を出し、立派な料理人になるために、
自分から修行に行きたいと言い出すようになりました。
修行は、厳しく辛いやり方で覚えるのも、人によると思いました。
その人に会った修行方法がある と思いました。
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