【将来お寿司さんをやる為に】
・修業時代は飲食店に住み込みで働く
将来飲食店を出したいと思った人は、中学や高校を卒業した後自分のやりたい食べ物のお店に修行という形で就職したようです。
何年間かそのお店で働き、親方(店主、事業主)に のれん分け という形で出店を許可されるのです。今で言えばチェーン店のような制度らしいです。
自分がお店を出す時、親方のお店の名前を付ける ことを許されるのです。
ある大きなお寿司屋さんに中学校を卒業して、働いている人達がいました。そこの寿司屋さんは、住み込みで働く人達もいました。 仕事も寝起きもお店です。そうやって生活ごと親方につき傍にいて色々なことを学ぶのです。
ある人は、30代後半になって本店から離れた場所に、出店を許されました。
親方のお店の名前を譲り受け、本店の名前の後ろに ○○支店と付けます。
これがのれん分けらしいのです。 「あのお店の支店か、ならおいしいだろう」という意味があるのが屋号の価値です。
その看板を自分のお店にすることが親方から許されました。
親方が店の場所を決め、土地や建物の代金を貸してくれて、勤めていた人がお店を出しました。
めでたく夢の自分のお店を持つことができたのです。
そういう人が2人いました。
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・時代の流れ。 回転寿司屋や持ち帰り寿司弁当のお店ができる。
念願の自分のお店を持ち、自分が店主になれました。長い年数を修行してやっとお店を出すことを許されたのです。しかも親方が土地もお店も用意してくれたのです。
ところが、その街に回転寿司ができました。
高級料理のお寿司が、安い値段で提供されるようになったのです。当初は回転寿司も人が握っていました。同じようなお寿司なのに回転寿司店の方が 安く食べられるのです。
お客さんは減っていったそうです。
その後外食産業が発展して、ファミリーレストラン、ラーメンのチェーン店もたくさん出てきました。弁当屋さんも何店舗も出てきたのです。さらにお寿司のお持ち帰りの弁当屋さんも出てきました。違う回転寿司が他にもできました。
そのお寿司屋さんを開店した2人のお店の売上は、どんどん減っていった そうです。
町のお寿司屋さんはどんどんなくなっていきました。さらに回転すし同士の競争も激しくなってきました。
やがて親方がやっている本店の近くにも 大手の回転すし店が出店してきました。
親方の子は後を継ぎません。最後に住み込みで働いていた人が本店を任されました。
後を継いだ形になって、売上があってもなくても、毎月親方に使用料として○万円渡さなければならないのです。
お客さんは減り親方に渡すお金が足りないこともあり、不足分は、そこのお奥さんがパートに行って補うこともあったらしいのです。
お店ができればお客は選べます。安くておいしいところサービスのいいところに行けばいいのです。お客の取りっこになってしまい、値下げ競争に陥ったら個人業はやっていけません。
個人のお寿司屋さんは値下げしたくても魚の仕入代はそんなに安くないので、安売りできないと思います。
・お寿司屋さんの閉店
その街にいくつも回転すしやファミリーレストランなどができ、個人でやっているお寿司屋さんはなくなっていきました。経営難で閉店する飲食店は多いです。
外食産業が発展し、大手は儲かりますが、個人の飲食店はお客さんがいなくなってしまっています。
親方にお金を借りて出店した2人は、毎月のお店の返済とのれん代として○万円をずっと親方に支払い続けていたのです。
こののれん代(営業権、使用料)が、いつまでも効力があるわけもない。
そのお寿司屋さんは、親方に支払えない状態になってしまいました。
親方に渡す毎月の支払と看板代が払えません。
「いったいいつまで支払わなければならないのか?」
親方にいくら借りたのかもわからず、永久にローンが終わらないし、のれん代もお店をやっている限り支払うのかと思うと、嫌になって来たそうです。
最初にお店を出した人が、閉店しました。お店のローン残もあるようでお店を売却し残金を返したのです。
それに続いてもう一人もお寿司屋さんを閉店しました。
お店を出して二十年近く経営していたのですがやっていけなくなり閉店したそうです。
二人とも60歳前後の人です。次の就職先が見つからない そうです。
奥さんがパートに行き、子供も働くようになっていましたので、それで生活しているそうです。
もう一人の方は今はシルバーセンターで働いています。
お寿司屋さんもきびしいです。
本店の後を任された人もその後お店を辞めました。親方に支払う本店の使用料が払えません。
近くに回転寿司が2店舗もできたのです。
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【一緒に修行し独立した人でも成功しているお寿司屋さんある】
・単なる寿司屋でなく、自分で料理の研究をした人
結局、本店も、のれん分けして支店を出した2人も閉店する ことになりましたが、
それよりも少し早くそのお店を辞めて、自分で借入をしてお店を出した人がいました。
その修行した人の中に まだ経営している店主もいるのです。
その寿司屋さんはカウンターでお寿司を握ってお客さんに食べてもらうお寿司屋さんでしたが、
それを辞めて、お寿司と他の料理をセットとして料理を提供することにしています。
わざと変更したのか 偶然そうなったのか聞いていないのでわかりませんが、この店主は本店で修業した後かなり色々な寿司料理などを学んだようなのです。他の飲食店のことも視察したり、料理の研究、お客さんの意見や 外食産業について研究したらしいのです。
修行先のお寿司料理とは違うものを出していたようです。
・本店とは違った独自のメニューで繁盛しているお寿司屋さん
従来のお寿司屋さんでなく、お寿司の定食を中心とした和食屋さんになっています。和食と言っても色々な料理を出すわけではありません。お寿司の生魚を主とした和食屋で、肉料理などはメニューにないのです。
ランチメニューや夕食用のメニューもそれぞれ考えています。
お店を建てた場所は郊外ですが、店の前の道の通りもいい場所でした。
その後、お店のすぐ近くがテレビで放映されるような観光の場所にもなったのです。
大変な繁盛になっているようです。
駐車場も増やし 土日はいつも満員で入れません。
いつも混んでいましたからこれがなくても経営は順調そうでした。
店の跡取り息子も入れて増々繁盛しているお寿司屋さんです。
外食チェーン店の食事に飽きた人や、お金がある年配者に人気となっています。
寿司系の和食はいいようです。
回転寿司では嫌だ、食べ飽きたという人に
オリジナルのお寿司の料理が食べられると評判がいいです。
回転寿司などの大資本の飲食店の出店ラッシュで個人の飲食店は大変ですが、
それでも やり方次第でこのお寿司屋のようにうまく行っている飲食店もあるようです。
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